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【Gクラスの軌跡】デルンブルク・ヴァーゲンから歴史は始まる

1973~
タフさが認められ世界各国の軍隊や公共施設で使われるようになり一般にも広く浸透していった

W460シリーズには、現行車のようなハイパフォーマンスV8エンジンはラインナップされおらず、全グレード直列エンジンのみの設定だった。とはいえ、ガソリンエンジンは2.0ℓの直4から2.8ℓの直6まで、ディーゼルエンジンは2.4ℓの直4から3.0ℓの直5までの計6タイプのエンジンがグレードにより使い分けられていた。さらにミッションは、4速マニュアル、5速マニュアル、4速オートマチックの中から選択が可能で、好みにより様々な組み合わせが可能だった。W461では5速オートマチックも搭載していた。



1973年、当時のダイムラーベンツ社と、シュタイア・ダイムラー・プフ社が、NATO正式採用の軍用車をベースに、共同で小型4WD車の開発することを決定。自社の小さく軽量な四輪駆動車「ハフリンガー」や、大型全輪駆動車「ピンツガウア」で、オフロード性能のノウハウを持っていたシュタイア。多目的作業用自動車「ウニモグ」を有するダイムラーとの共同作業は、互いに意味のあるものであった。計画では、傾斜のひどい山であれ、荒野であれ、厳しい天候にあっても、走破するオフロード性はもちろん、世界のどんな僻地であっても、簡単にメンテナンスや修理ができることを目標に掲げた。そしてダイムラー・ベンツが1909年に商標登録をした、「スリーポインテッド・スター」(陸・海・空、それぞれの世界でのモビリティーの発展を目指す、というゴットリープ・ダイムラーの思想の象徴)の指し示す、「あらゆる場において快適であること」、オンロードはもちろん、オフロードにおいても、安全で、快適な乗り心地をもたらすものであることも、この目標の一つであった。開発の早い段階から、ディファレンシャルロックに着目、と同時に、走行時フロントアクセルドライブにシフト、シンクロメッシュトランスファーによって作動できるような機構が考えられていた。

1973年には、まずメルセデス・クロスカントリー・ビークルの木型を公表、注目を集めた所に、1974年、走行可能なプロトタイプでテストを開始、世界中のあらゆる場所で、数万キロにも及ぶ走行テストを行ない、データを収集、両社の将来を託す一台となることを確信していく。1978年、アルプス山脈にあるシュックルでの最終テストについて、納得のいく結果を得られたことを受け、メルセデス・ベンツ社とシュタイア・ダイムラー・プフ社、両社の最高責任者が共に、機は熟したと判断、民生用として販売に動き出す。

1979年2月5日、南フランスにて、ゲレンデバーゲン(ドイツ語でオフローダーを意味する。)460シリーズが発表される。大きさは、日本で言う5ナンバーサイズでパートタイム4WD、4速ATのみ。その特徴はまず、四輪駆動方式にあり、センター/リア/フロントにロック機構を搭載するデフロックが挙げられる。デフロックとは、急勾配などで脱輪、空転した車輪にロックをかけることで、他の設置している車輪に駆動をしっかりと伝えられるというもの。また、フロント、リアともにリジッドアクスルを含めたドライブシステムを採用。これらにより、どんな悪路も走破するという目標を実現させた。一方で大型コイルスプリングと長めのコントロールアームを組み合わせ、ストローク量を確保、リジッド式サスペンションで、オンオフ共に快適な乗り心地を確保。ボディの形状は、路面からの干渉を受けづらいように、下面をフラットに。大きな閉断面を持つサイドレールと大径のクロスメンバーにより、優れたねじれ剛性を生むラダーフレームを採用。オーストリア、グラーツにおいて、230G、240GD、280GE、300GDの生産が開始される。1980年にはドイツを訪れたローマ法王が、230Gで歓迎を受け、それ以来、230Gにアクリル樹脂製のドームを載せ、人々から法王の姿が見えるよう工夫された“ポープ・モービル”が公式行事などで使用されるようになる。1981年、W460シリーズをAMG(※1)がカスタマイズ、オーバーフェンダーを装着したAMGモデルが登場する。また、280GE、300GDに4速AT、エアコン、補助シートなどのオプションが設定される。1982年には230GEを発表。燃料噴射エンジン、ワイドタイヤ、アルミホイール、オーバーフェンダーのオプション設定を持つ。グレーもしくは茶色と黒を掛け合わせた格子柄のシートを採用。この年から日本で、300GDの正規輸入が始まった。

1983年には280GEと300GDに5速MTが加わる。1985年、ダッシュボードを一新、回転計が中央に、またオプションで、シートヒーターが加わる。カブリオモデルのソフトトップが格納式となり、より簡単に操作できるようになる。1987年からオプションで軽量な16インチホイール、当時まだめずらしいパワーウィンドウが設定された。運転席のパネルには木目調を選択することができた。5気筒の250GDが240ディーゼルに取って代わった。しかし84hp、154Nmトルクで、高速道よりもオフロード寄りの車となっていた。最先端の直噴ディーゼルのタイムは、もの足りず、大きな改革が必要になっていた。

※1
AMGは、1960年代にダイムラー・ベンツのレース用エンジンの開発に携わっていたハンス・ヴェルナー・アウレヒト、エバハルト・メルヒャー、この二人が育ったGrosaspachの頭文字からなる名前。2人は一時ダイムラー・ベンツがモータースポーツから撤退していた時も、独自に開発を続け、1967年に共同事業を起こし、レーシングエンジン開発のため、設計とテストを行なう会社“AMG”の変遷を経て、1980年代末にダイムラー・ベンツと協力関係となり、1999年にはダイムラー・クライスラーグループと合併する。その後メルセデス-AMG GmbHとなった現在も、20車種以上を扱う。



 

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