• TUNERS(チューナーズ)は車のカスタム,改造車,ドレスアップを中心とした専門WEBマガジンです。カーライフに関わる情報を随時更新しています。
  • logo
  • logo
  1. ホーム >
  2. >
  3. 老メカニックの呟き

老メカニックの呟き

01 のコピー

その年老いたメカニックは静かに呟いた。
「こいつを仕上げれば、1000万円では売れる。それが俺の退職金だ」。
散らかし放題の修理工場の片隅に、ビニールに覆われたEタイプが置かれている。ビニール越しに見えるのは、バラバラの状態のパネル、シート等の多数の部品。フルレストアをするために塗装がはがされた状態のままの外装パネル。この前来た時と同じ状態で、何かに手をつけたような様子は窺えない。

工場内の機械類に目新しい物は見当たらない。全て旧式の物ばかり。それらを友として、この工場で一人黙々と、何年間も仕事をして来たのであろう。散らかし放題に見えても、それは他人事。本人には何処に必要な工具が置かれているか知っているはず。老いても修理道具の置き場所の記憶だけは、はっきりしている。修理技術はいい腕をしていると周りの人たちは言っていた。「あのおやじは、口うるさいのがたまに傷だが」とも。使い古した機械類にはこの男の人生が詰め込まれている。それに、メカニックとしての誇りも。

都下に土地を持って居て、それを売りに出していると言っていたが売れたのだろうか。

退職後の生活資金にすると言っていたが。クルーザーも一槽所有していると話していたが、本当なのかどうかは不明。そんなことを話ながら、ペットボトルを口に持って行く。その手は黒い油の汚れが染み付いていた。手に染み付いた汚れは、この男の人生の厚みをも表しているようにも観える。

意地悪い質問をしてみた。このEタイプ組み立てに必要な部品は全て揃っているの?
何色に仕上げるの?完成予定はいつ頃なの?
視線は、わずかな光が差し込む、何年も磨かれていない窓の外にあった。Eタイプの完成時期が、この男の人生という仕事の完成時期にもなる。仕事を辞めてしまったら本人は淋しくなるだろう。その目の輝きが静かに語っていた。そして周りにいる人達にとっても、どこかに何か必要なもの置き忘れてきたような、淋しさも感じられることだろう。

夏至が近いことを感じさせる大きな太陽が、西の空に沈んで行き、オレンジ、真っ赤、ブルー、そしてダークブルーに空の色が変わって行く。この星達が瞬き始める時間帯を、万葉の歌人たちは「たれそかれ」と詠んだ。「貴女は誰ですか?」と尋ねなければ相手が誰か分からないような明るさの時間帯を、現在では「黄昏時」と呼ぶ。

この老メカニックの人生の「黄昏時」は、どの様な綺麗な色で染め上げるのだろうか?

2017.05.31.